最近減った・・と思う。

今日、朝渋谷に向かう途中の電車で、
車両がオーバーランした。


行き過ぎたのは2mくらいで、
全然たいしたコトのない範囲だったが、
まだ、尼崎電車事故の記憶が鮮明に残っているこの時期だけに、
電車がバックした瞬間、車内でもアッという空気が流れた。


電車が再び走り出した頃、
車内アナウンスが流れた。
女性の声。
早口で、車内にお詫びを入れた。
ちょっと聞き取りづらかった。


そこで、思う。
そういえば、最近車内放送で特徴的なアナウンスをする
車掌が減ったような気がする。


ムカシはもっとしゃべり方や声の出し方が
特徴的で聞きやすい上、耳に付くし、
駅名なども記憶に残りやすかったような
クセのあるアナウンスを流す車掌が多かった。
電車に乗ると「あっ、この車掌の電車、この間も乗ったわ」なんて、
気付くことも多かった。
関西の電車と関東の電車という違いがあるかもしれないけど。


でも、それ以前に、今の日本の社会において
どんな仕事でも言えることやけど、
多分最近は、個人個人のモチベーションというか、
どこか職人的なプロ意識が根本的に欠如してきてるんやろな、と思う。
サラリーマンでも自由業でもなんでも、
ムカシはその仕事におけるプロ意識をもっともっと
むき出しにして仕事に取り組んでいるヒトが多かったはず。
団塊の世代あたりはとくに。


それがバブルがはじけてサラリーマンの給料は減り、
フリーターはいるは、ニートはいるは・・。
でも、相変わらず働くことというか、お金を作ることは大事で、
人生の中で仕事に割かれる時間も相変わらず多いけど、
働く価値が人生の中で大きな位置占めてたのにそれが転落して、
仕事はただ食べるだけに、
自分の好きなコトだけに没頭することに必要なお金を作り出すための、
単なる手段と化している。


それだけに仕事には余計にマニュアルが必要で、
創意工夫を求めず、画一化された仕事を、
やりゃそれでOKみたいなノリが今の日本の社会にはある。


だからプロ意識が欠けているのだ。と最近思う。
スキルを得ようとしたり、
人脈を広げようとしたり・・・給料以上のなにかを、
人生の肥やしや経験を仕事からも得ようとするヒトは少なくなった。


自分も決して大口たたける身分ではないが、
なんか仕事をすることが好きな人間からすると、ちょっと寂しい気もする。
「オマエの人生の大半の時間を占める仕事がそれでええんか?」と。


まぁ、コレはムズカシイ問題で、俺がたまたま今好きな職業に就いているから、
そう思うだけなのかもしれないが。


でも、冒頭の電車が終着駅である渋谷に着いた時、
へらへらしてた若い運転手が運転席から降りてくるのを見て、
改めてやっぱ最近の日本人、なかでも若い人はとくに
プロ意識は欠けていると思ってしまった。