人の優しさについて考える。

昨日、食事をした場所に財布を忘れた。


気づいたのは食事をしてから3時間以上も経ったあと。


家に帰る前にふと鞄を確認すると財布がないのに気づき、
慌てて探し回ったというワケだ。


一生懸命に自分の行動を思い出した結果、
晩ご飯を食べたトコロしかないという結論に落ち着き、
急いでその店に駆け込み店員に尋ねたところ、
やはりそこに忘れていたらしく、
すでに財布は交番にあるとの返答が。


その財布にはクレジットのみならず、キャッシュやETCカード
運転免許証や健康保健証まで入れていて、
まさにそれがボクの生活のすべてという大切なモノだったので、
とにかく急いで交番に駆け込み問い合わせると、出てきました、ボクの財布。


で、そこで驚いたのは現金、カード類が全くの手つかずだったコト。
失った場所は東京、それも夜、不特定多数の人が出入りするトコロ、
って考えるといくら見つかったとは言え、
最低でも現金は無くなっていて当然と考えてしかるべき。
出てきたと聞いてホッとすると同時に、覚悟もしていた。


それが無傷の状態で戻って来たのは奇跡に近い。


拾得者が匿名だったので、
お客さんか、店員さんか誰が届けてくれたのはよくわからない。
でも誰かが自分の財布のために時間を割き、
それも中味を抜かずに届けてくれた。


世知辛いこの世の中、財布を忘れて中味を抜かれたなんてコトは
よく聞く話で、送別会で幹事をしていた友達がみんなから集めた会費を
入れていた財布を盗られて(しかも7万も!)ホントに困ってた
姿を目の当たりにしたこともある。


そして財布を拾って中味だけ抜いた! みたいな武勇伝を聞いた記憶もある。
もちろん俺もそれを聞いた時はうらやましく思ってたし、
あわよくば自分も拾った暁には・・・。なんて思ったりもした。
「悪いこと=カッコイイ」なんていうへんな図式が
ムカシから日本にははびこってて、自分の中でもそんな演出って必要なんかな?
なんて思った時期もあった。


でも、改めて自分がそういう「優しさ」に接すると、
実に自分の考えが愚かで、歪んでいるかってのを改めて気付かされる。


優しさや正直というのは決して格好良くはないかもしれないが、
人間としてすごく魅力的で素敵なコトだ。


人に優しく。


今回のことが自分の行動を見直すいいきっかけになった。
小さいことではあるが、自分に負担にならない
ちょっとした気遣い、譲り合いを積み重ねることで
人間同士って心地よくなれるもの。
この歳になって思うのは遅いことかもしれないが、
まずは身近なことから、さり気なく始めることにした。